投稿日:2014年6月5日|カテゴリー:吉田京子
銅メダルより銀メダルの方がよいはずです。
一審、二審ともに敗訴するよりも、一審だけでも勝訴するほうがよいはずです。
でも不思議なことに、銀メダリストは銅メダリストよりも嬉しそうではない、という研究があります。銀メダリストは自分が金メダルまであと一歩だったことを考えずにはいられないからだ、というのです。
一審勝訴後の控訴審での敗訴に落胆するのも同じ仕組みのようです。
実際には起こらなかったことについて、「それがもし起こったらどういう結果になっただろう」と考えをめぐらすことが、失望を大きくするのです。
将来の失望を見越して、後悔をなるべく少なくすることもできます。
乗り遅れる可能性のある電車のために、駅まで走ったりしない方がいいのです。次の信号が赤だったときの後悔を思えば、道を走ることはそもそも馬鹿げています。
後悔の痛みを避けようとすることを「間違っている」と断じることはできません。それは誰にでも備わった自然な心の動きです。
でも、それに抗わなければならないときがあります。
後悔の痛みと比較したとしても、銀メダルに価値があり、一審勝訴にはやはり意味があるからです。
たとえ次の信号で立ち止まることになっても、駅で電車を待つことになっても、走ったことは決して無駄ではないと思います。
弁護士2年目になりました。そういう理由でいつもたいてい走っています。
(参考文献:M.H.ヘイザーマンほか『動機と感情が意思決定に及ぼす影響』「行動意思決定論」137頁)