秋葉原駅で地下鉄を降りて、事務所に近い出口から地上に出ようとしました。

思いがけず、20人ほどの人が階段で立ち止まっています。頭上には激しい雨が降りはじめていました。

私はしばらくそこに立っていました。どうにもならないので同僚の弁護士に電話をしました。「ちょうど手が空いているから」、傘を届けてくれるといいます。私はこれに甘えることにしました。事務所までは走れば1分で着くのですが、その1分で大事な記録がずぶぬれになるほどの大雨です。

周囲を見ると、雨宿りをする人の半数ほどは海外からの観光客のようです。ほかの日本人の何人かが、電話をかけて迎えを頼んでいます。観光客は踊り場に座り込んでしまいました。彼らは無言です。電話の声と叩きつけるように振る雨の音だけが響いています。

私はもう一度事務所に電話をして、傘を1本余分に持ってきてもらえるように頼もうかと思い立ちました。その1本を貸してあげたいと考えたのです。でも、1本の傘では到底そこにいる人たちには足りません。これ以上同僚を煩わせたくないという気もします。私のしようとしていることは薄汚い偽善なのではないかという不安もありました。
後ろめたさを抱えて立ち尽くしていたら、スーツを着た中年の男性が私のそばで折りたたみ傘を開きました。私の顔を見て、少しうんざりしたような顔をしました。低く単調な声で「どこまで行くの」と言われました。私は、「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」と答えました。彼は観光客には視線を落とさずに「そう」と言って雨の中を立ち去りました。その背中が見えなくなった頃、私のところに同僚が傘を1本持ってやってきました。私も先ほどの男性と同じように、後ろを振り返らずに事務所に向かって歩き始めました。「わざわざありがとう」というと、同僚は「お互い様だからね」というのです。

すぐにやむかと思われた雨は今も降り続いています。稲光が見えて、雨はいっそう強くなりました。東から西に向けて強い風が吹き付けています。私はそれを、事務所の自室であたたかいコーヒーを飲みながら眺めています。今もあの地下鉄の出口でたくさんの人が雨を凌いでいるかもしれませんが、この窓からは見えません。

親切心は大変尊いものです。いつも折りたたんで鞄に入れて持ち歩きたいくらいです。
でも、自己犠牲や親切心でようやく成り立つ社会は危ういものです。私たちの親切はときどき、身内同士でだけやり取りされるからです。同僚が快く私を迎えに来てくれたように。私が同僚の労を慮って2本目の傘を頼まなかったように。男性がスーツ姿の私にだけ声をかけたように。

傘を貸します。何本でも貸します。日本人でも外国人でも、会社員でも学生でも、誰にでも貸します。
そういうことが、制度として、職業として成り立つ社会があったら。
ずぶぬれで帰ってきた事務所の代表パートナーを見ながら考えています。

2014年9月26日吉田京子002